てんかんのお灸

  • 2016.01.23 Saturday
  • 00:12
 江戸の中期頃までは鍼よりも灸の方が良く用いられていました。理由は鍼よりも安全で安く誰にでも出来て効くからです。堀内家文書でお灸の話題が出てくるものがいくつかあるのですが、特に私の目を引いたのは、鷹山公手元用人の子供が重度のてんかんを患い、3才の発症から11才になるまであらゆる手を尽くしたがダメで、堀内忠意が杉田玄白に何か良い方法は無いものかと教えを請うている書状です。てんかんの原因も治療法も分からなかった当時の人々の苦悩が伝わってきて身につまされる内容です。長いのですが意訳で紹介します。

 11才の男子癇症(てんかん)で長年患っております。医薬鍼灸に応ぜず難症です。御教示お願い仕ります。

 3才の5月26日家、に立ち並ぶ旗を望み見ていたところ卒倒し、歯をむき出しにして反張して泡を吹き半時して醒めました。その後30日ほど過ぎて昼寝をしていたらにわかに目覚めて「こわい、こわい、めめ、こわい、こわい」と啼きだし、反張して涎沫を吐き苦しみ半時して醒めました。子守の女中が言うには先刻殿が蛇を庭でご覧になられたので、めめと言っているのはその蛇のことだろうと。この時もいろいろな薬を用い、その後暫く何のこともなく家内安心していました。

 4才の2月痘瘡にかかり熱が出たときに発作を起こしましたがすぐに醒めました。熱が出て出痘無難に収まりこの時は痘瘡の熱によるものだろうと心得ました。またその冬に至って庭で遊んでいるときに卒倒し、以前の如くの有様でした。その後は4〜5日おきに、又は昼夜6〜7度も発作を起こすことも出てきました。この頃海人艸湯を投じたところ蛔虫十余条下ったのですが症状が減る事はなく家内で心痛しました。

 5才の2月又々発作を起こし、これまでは覚醒後意識は人並みでしたが此の節は違って大発作になり、昼夜60〜70度の痙攣を起こし誠に目の当てられぬ有様でした。その後は発作に順い次第に愚鈍になり手足半身不随、言語も半ば出でず、その頃は夜に発作を起こし醒めた後は声を発して啼く事が間々ありました。

 また、3月頃に至り発作を起こし人事不省になり、ぴくりぴくりと衝心(心不全と呼吸困難)し手足の痙攣を押さえた看守の手を衝き上げる状態でした。昼夜30〜40度発作を起こし6才の7月には家内親子兄弟の見分けが付かなくなり大小便もおしえず、衣も床も汚す様になりました。

 家内は気の毒に思いいろいろと相談をしこれまで尽くしてきた医薬も全く効果なく術も尽きたとなったので、主人自ら灸をすえる事にしました。その節は菓子を席上へ散らし、子を伏させ置いて9つのツボへ数壮づつすえたところ、一向に火熱も平気で毎日お灸をすえること6〜7日迄は熱がらず、その後は日増しに熱さを感じ始め、「痛い」と言うようになりましたが、普通の人が熱がり苦しむような様子ではなく、30日ぐらいして初めて「あつい」と言いました。

 それでも忍びかねる様子ではなく、灸の徳なのでしょうか1年半ほど無難に過ごし、次第に快く見え言語が明瞭になり教えることも理解するようになり飲食も自ら自由になり、手足も自在になりました。その前は誠に1〜2才の小児玩具を手に持って遊んでいましたのに万事年相応になりました。

 8才の2月主人が申すにはお灸のお陰で久しく無難に過ごしてきたので又々お灸をすえようと2〜3壮すえたところ少々発作を起こしすぐに醒め、数壮すえてみましたがこの度は灸の効果もなく又々昼夜たびたび発作を起こし、発作の際に遺尿するようになり、特に夜分は数多く発症し、長年の鍼灸医薬も役に立たず全快しないものと捨て置かれ、当4月中頃又々大発作を起こし12日より14日まで数度発作を起こし3日間絶食人事不詳になること2夜3日して次第に覚醒しその後は夜分多く発症し、一夜の内に2〜3度あるいは3〜4度になり、ちょっとの間も看守が離れることが出来ないまでになりました。

 当時は飲食両便常の如くになるとも意識、言語、歩行など2〜3才の小児の如く何事も分からず、看守の下女も困り果ててしまいました。欲しいと思っても口に出せず他人が分からないので唯々短気になり弱ってしまいました。うわごとを言うようになり、泣くでも笑うでもない声を発する事もたびたびあり、小生が脈を診るに平常は沈んで実した状態で、腹状も常に苦満気味でこれまで数年来の看守の者が油断した節、足を踏み外し火傷を2度もさせてしまいました。

 さて、その傷が爛れている間は2度とも諸症状や発作は起こりませんでした。且つまたこの子はたびたび虫が下り、常に涎を垂らしています。5〜6日も平穏だと言語も手足も自ら和らぎますが、発作を起こすと格別強くなります。奇方(稀な薬)も尽くしましたが寸効もなく家内は痛み入っております。

 この子3才の頃は世間の子よりは格段に才気も有り、末頼もしいと他人も見ていたほどの生まれでしたのに誠に惜しむべき事と申せます。長く発作が起きないと万事快く見えるのですが、11才の小児が全快する方法はあるものでしょうか。蘭人は如何な説を申すのでしょうか、奇方の妙術がございましたらそれを以て救いたいと存じ奉りますが、何とか御工面下されて御教示給わりますよう願い奉ります。

 右の小児は中隠居(鷹山)手元用人として勤めている者の子です。ご隠居様がこの病症を聞き及び殊の外心痛致され、この上何とか快気の筋が有るのではないか。猶以て治療を致させたく、なるだけ人事を尽くさせたいお考えでして、老先生へ申し上げて、奇術、妙方もございましたら用いたいと思っており、細々と容子を申し遣わして御教示をお願いするよう申し付けられました。

 お忙しく在られることは承知奉りますが、格別に申しつけられた事ですので心なき事にございますでしょうが御賢慮をもって一日も早く治療を尽くしたいと思っております。どうかお願い申し上げます。いづれか急ぎの便でご返事下されば何にもまして安心致します。返す返す恐れ多いことではありますが急便にてご返事を下されれば、ありがたき君慮とて家を挙げて感涙するでしょう。この上は一日も早くと唯々願うばかりです。先生の御返書はもちろんこの書面を認めぬ内にも半分治ったかの様に喜び申す様子にございます。唯々ご返事を急便にてお願い申し上げます。

中略 (これに続く文章は忠意自身のインキンタムシの相談と朝鮮人参を米沢で作ったことの報告が続きます)

10月26日                                                   堀内忠意

杉 玄白様 玉机下

 何度読んでも言葉が出ません。当時の知識と技術では如何ともしがたい現実に苦悩する医師達の姿が目に浮かびます。
とは言え、ここに記されたお灸の効果は目を見張るものがあります。深谷灸法にも、良く効くときは最初は不思議と熱くなく、次第に熱さが通ってズーンと響くと効果が現れると教わりました。実際にそうした経験も少なくありません。この書面でも不思議と患児は熱がらず、すえ続けて熱さが通ったら効果が現れた様子が書かれており、私が教わった事もここに書かれていることも本当なんだなーと感心しています。最終的に治せてはいないのですが、いろいろ試した中ではもっとも効果があったことは確かで、しかも一年半という長い間効いてるのも素晴らしいですし、ほとんど正気に戻り、身体も普通になった事実は驚くばかりです。また、火傷を負った時も傷が治るまでは発作を起こさなかった事が書かれてあり、注目に値します。

 補足ですが、明治初期には草津温泉での熱湯浴と1000壮ものお灸治療で、癩疾(らいしつ)を完治させていたことをドイツ人医師エルウィン・ベルツがドイツ内科学会で紹介しています。また、代田文彦先生のお父さん文誌先生はお灸でご自分の結核を治して鍼灸師になったそうです。今、モクサアフリカというプロジェクトがアフリカで行われています。結核が治るまで薬を使い続けるお金が無くて耐性菌が蔓延している問題をお灸で解決しようとする試みです。お灸は痕が残る治療法ではありますが、本当に困った時は自然治癒力を発揮させて難しい病気を良くする力を持っているようです。

 代田文彦先生は「本当に病気を治すのはお灸だ」とおっしゃっていました。もう一度お灸と正面から取り組む必要を感じています。
 
 さて、堀内家文書についてはこの辺で一区切りにしたいと思います。最近は江戸時代の米沢藩における鍼医者の事をいろいろと調査中で、5月には鷹山大学で講演しようと準備しています。いずれその話も紹介したいと思っています。お楽しみに。