堀内家文書に見る水蛭、刺絡、焼鍼

  • 2015.12.10 Thursday
  • 12:36
鷹山公の膝痛の続き

鷹山公の膝は馬に乗るときに膝をくじいて水が溜まり慢性化していたところに虫に刺されて化膿したようで、当時の医学知識では蘭方でも漢方でも鍼でも湯治でも的を射なかった事が伺われます。現代医学的には化膿巣の外科的処置を主に、膝のMRIで慢性の関節水腫の元は何か調べる事になるのでしょうが、当時持ち合わせた技術の中で、なぜお灸と瀉血を利用しなかったのかなーと臨床家の私としては首をかしげます。

お灸は化膿巣の側に多壮することで効果を発揮します。さらに瀉血も効果を期待できたと思われます。書状の中に鷹山公は酒が嫌いなので、薬を酒で蒸して使うのは逆上されたりめまいを起こされたりしては恐れ多いのでやらないと書いてあることからして、お殿様に苦痛を与えるような治療は差し控えていたのかもしれません。 

瀉血治療と焼鍼

ところで、鍼灸の治療法で隠し技的に使われてきたのに瀉血法や焼き鍼があります。瀉血は世界各国で行われてきた歴史があり、こと漢方に限った治療法ではありません。傷を付けて絞ったり、吸い玉を付けて吸い出したり、蛭を付けて吸わせたり、現代では血管から抜いたりと方法は様々です。最近は血液感染症の問題があり、鍼灸界では瀉血法をタブー視していますが、私の小さい頃には蛭付けをする人がいたものです。今でも細々とやられているようですが、実はこれがうっ血が原因で起こっている症状にはもの凄く効きます。ただし、その適応を見極めるのが難しく、闇雲にやると貧血を起こし困ったことになります。

江戸時代の蘭方医でも使っていたようで、坪井信道(江戸で開業する蘭方医)から堀内忠亮宛てに書かれた手紙の中に日野の奥様(日野主税資敬夫人)を診察した様子が綴られており、その中に下腹部や腰に水蛭を付けたことが載っています。(この方は産後が悪く乳腺炎も悪化して膿が出る事態となり、男子出産後3ヶ月で亡くなっています)

さらに高橋玄勝(米沢藩医)から志賀八右衛門(米沢藩仲之間年寄)に宛てた手紙にも高橋玄勝が入門した蘭方医吉雄定次郎は癩疾(らいしつ)の治療が得意で、この春にも三人治療して全快したことが書いてあり、その治療方に刺絡と焼鍼を使うとありました。(刺絡とは皮膚表面に見られる細い血管を針で刺して血を出す方法で、焼鍼は鍼を焼いて刺す方法で最近これを復活させて使っている人もいるようです。)

刺絡や焼鍼のやり方もいろいろあったようで、文中には「神代という医者が施したような絡を割り破血させる論とは異なり」云々とか、「焼鍼は江戸の片倉玄周が施した焼鍼ではなく、常の焼金で昔から伝えられているもので」云々といった記載が見られ興味をそそられます。

これらの記述から見ても、蘭方医は今の西洋医学の医者ではなく、新しく伝わってきた和蘭陀の薬や外科のやり方を取り入れた漢方医と言い表した方が実態を捉えているように思います。また、前述でも分かるように、蘭方医の吉雄定次郎が刺絡や焼鍼を使って治療しており、鍼灸も有用な治療法の一つとして使われていたことが分かります。