鍼灸師から見た現代の障害者福祉(米沢社会福祉協議会研修会講演原稿)

  • 2015.10.24 Saturday
  • 13:33

施す福祉から引き出す福祉へ
                                                                                 かとう鍼灸院 院長 加藤雅和

ごあいさつ
 本日は米沢社会福祉協議会の研修会にお招きいただきありがとうございます。また、日頃から地域福祉にご尽力頂いていますことに、一市民として心より感謝申し上げます。以前花沢地区連合会の催し物でお話をした際大瀧会長さんとご縁が出来まして、本日の機会を与えていただきました。鍼灸師の加藤雅和と申します。

講演のいきさつ
 今回は社会福祉協議会の役員研修会とお聞きしたので、障害者福祉に関する私の話しにも耳を傾けて下さるのではないだろうかと思い、「鍼灸師から見た現代の障害者福祉について」と題してみました。

 さらに、「施す福祉から引き出す福祉へ」と副題をつけたのは、「施すだけの福祉では人のやる気を削いでしまう。社会に貢献できるという自尊心を刺激し、やる気を引き出す福祉に転換していくべきではないか」と云う提言をさせていただきたかったからです。

 なんで鍼灸師の私が障害者福祉について話をするのかと申しますと、職業柄業友として盲人との親交があり、彼らの本音を聞いてこられた立場にあります。

 また、私の家内は弱視で、障害2級です。視力障害のある家族と暮らしながら身近に障害者の苦悩や本音を体感してきた一人でもあります。彼らのそばで同じ仕事をしていると、彼らが感じている社会からの疎外感を私も感じるのです。健常者と障害者の間に引かれた線、施しをするものと受けるものとの間に引かれた線を強く意識してしまいます。私はその線が消せないものかと常々考えています。

 歴史を紐解けば、江戸時代盲人は当道座という互助組織によって身分、生活、教育、就業、昇進の機会が保証され、しっかり自立しており、施される立場になど立っていませんでした。頑張り次第では奥医師や大名に匹敵する検校の位に就けるチャンスもあったし、ちゃんと一家を養っていたし、中には高利貸しで大もうけして吉原の花魁を身請けするものまでいたほどです。

 つまり彼らは障害者や施されるものとしての扱いは受けていませんでしたし、何よりも社会参加を果たしていました。それが明治期当道座の解体と時代の変化によって盲人を始めとする障害者は一端社会から締め出されます。その後150年近くの年月をかけて徐々に障害者の待遇は改善されつつありますが、盲人の扱いに関しては遠く江戸時代の足元にも及びません。

 日本人は勤勉で温厚でモラルが高くすばらしい国民だと震災以降世界から良く誉められます。でも一方で排他的な一面があることに気がついていない欠点があります。国内の少数派(他民族や障害者)を無意識に排斥してしまう点です。

 近年世界の福祉は弱者を救済することから誰もが普通に接し暮らせる社会を作ることに向かい始めました。いわゆるノーマライゼーションの実現です。日本の福祉もそうした方向に舵を切りつつあるものの、非常に遅れています。

 今日は日本社会のどんなところが排他的なのか、どうすればそれが改善されるのか、誰もが普通に接して暮らせる社会はどんな良いことがあるのかについて鍼灸師という完全少数派の立場から論じてみたいと思います。耳障りの悪いことが多くなりますが、どうかご容赦ください。

自己紹介 
 まず自己紹介です。私は昭和32年米沢生まれの57才です。中央3丁目で家内と鍼灸院を開業しています。興譲館を卒業して四谷の鍼灸専門学校に進み、昭和55年に鍼灸師の免許を取りました。その後、若い内に見聞を広めたいと、昭和58年に半年間ですがアメリカのカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に語学留学し、幸運にも障害者教育の理想像を目の当たりにしてきました。
 帰国後一端米沢で開業したものの、勉強不足を痛感して世田谷の玉川病院と言うところで5年間東西両医学の研修を受け、そこで出会った目の不自由な家内と結婚し平成元年に帰郷して再度開業し直しました。
 米沢の鍼灸マッサージ師会では平成4年のべにばな国体で全国初の治療ボランティアを晴盲協力して成功させました。現在は夫婦二人三脚で二人の子供を育てながら、コツコツと鍼灸で地域医療に貢献する夢を追い続けています。息子は跡を継ぐため大阪の鍼灸大学で勉強を始めたところです。

盲人教育の歴史
 先にも述べましたが盲人の職業教育には江戸初期から幕府が力を入れていました。盲人について云えば鍼灸あん摩、琵琶、三味線、琴などの音曲は盲人の独占的職業になっており、鍼灸あん摩の教育は杉山検校の私塾を母胎とする「杉山流鍼治導引稽古所」が全国に作られ教科書も整備されて 鍼・按摩を盲人の職業として確立させていました。ここで教育された人を幕府や諸大名の医師に登用させて盲人の社会進出とステータスを維持していました。音曲に関しても琴の八つ橋検校など多くの音楽家が活躍していました。 

 当道座解体後政府が盲人や聾唖者の教育に着手するのは実に55年後の大正12年「盲学校及聾唖学校令」を発令したときからです。それまでは全国各地で盲人の家族や篤志家が私財を投じて盲聾学校を作り補ってきました。

  現在では盲人の減少により吸収合併されて数は減っていますが、盲学校は71校  聾学校が104校、養護学校が831校あります。ちなみに盲学校は幼稚園から高等学校さらに職業教育として鍼灸、あん摩、音楽の専門教育を3年間行っています。

 さらに大学レベルの教育機関としては筑波技術大学があり、盲と聾の学生に対しそれぞれ保健科学部と産業技術学部の二つの学部を用意しています。盲学生に対する保健科学部は鍼灸、理学療法、情報システムの3学科が用意されており、その就職率は90パーセントを上回っています。
 
 とここまで並べると、立派なものです。でも、問題は沢山あります。まず第一に、盲人の教育は鍼灸あん摩と音曲に理学療法とコンピューターという新たなジャンルが二つ加えられただけです。江戸時代のカリキュラムに150年の年月をかけてわずか二つ増やしただけです。

 また、鍼灸あん摩は盲人の独占ではなくなり、もみ療治については国が免許を形骸化しており無法状態です。盲人業者の社会的ステータスを上げる取り組みはほとんど行われておらず、言葉は悪いですが、盲人にとってみれば教育と免許と年金を与えられてあとは受け入れ体制のない社会に放置されているようなものです。これでは江戸時代の方が遙かに優れたシステムだったと言わざるを得ません。

 現代日本において囲まれた障害者教育のシステムから外れて教育を受け、社会に参画していこうとするとどんなことになるか?国立大学に進学できた身体障害のある学生の実態調査報告書から見てみましょう。

 国立大学における身体に障害を有するものへの支援等に関する実態調査報告書(抜粋) 
                               平成13年国立大学協会
1. 障害学生の受け入れ体制の整備
 身体に障害を有する受験者の数は年々増加する傾向にあり、障害の種別も多岐にわたっているため、ほとんどの大学が受験相談窓口を設けているが、障害学生の受験に関する何らかの規程がある大学は31%、大学全体で統一した規程があるのは14%と少なく、組織的な対応が不十分である。
 入学後修学上の困難や支障に関する相談窓口を設けている大学は31%、相談に対処する特別な委員会を設けているのは11%にとどまっている。このような相談・支援体制の未整備には、障害学生の問題への全学的な関心がまだ低いことに加えて、相談・支援システム情報の不足、モデルの欠如も大きく影響している。
 
2. 障害学生のための施設・設備の整備
 整備の完了した大学が約20%、整備されつつある大学が60〜70%と、整備の努力がなされている。整備の内容としては、玄関等のスロープと自動ドア、身障者用のトイレ、身障者対応のエレベーター、身障者用の駐車スペース、視覚障害者用の誘導ブロック、車椅子用座席などが中心である。大学側と障害学生が求める施設・設備は大筋では一致しているが、実際には利用困難なものや役立たないものもあり、設置にあたってはよく検討する必要がある。

3. 障害学生の授業・学生生活に関する支援体制の整備
 実験・実習・実技を含む全ての講義で障害学生に対する特別措置ができている大学は4校にすぎず、大半の大学は一部の講義とその場の判断で対応するだけで、組織的な対応は行われていない。「ソフト面」の整備はまだまだ不十分な状態にある。

4. 教官への支援体制の整備
 日本の大学では、授業を担当する教官側にも、「どのように対応したらよいのか」、「具体的にどんな配慮をしたらよいのか」という戸惑いが多いことも事実である。したがって、『授業担当教官への情報提供と支援をどう行うか』という視点もまた不可欠である。

5. ボランティア等の支援体制の整備と一般学生に対する啓蒙
 「学内の一般学生や教職員による学習支援組織がある大学は15%しかない。また、一般学生に対する障害学生についての啓蒙活動を行っている大学も14%にとどまっている。
 さらに、一般学生による障害学生支援を授業の一部としたり、単位に組み込んだりしている大学は、わずかに12%である。障害学生への支援を一部の学生の個人的な善意に依存している現状が如実に表れている。
 
6. 卒業後の進路開拓
 障害学生の約1/3は、卒業後の進路が未決定のままである。就職先の開拓等、卒業後の進路に関する取り組みも今後必要となる。
  現在のところ、障害学生への実際的な支援は、その学生を受け入れた学部・講座・教職員の努力にゆだねられることが多く、まだ全学的な取り組みのレベルには至っていない。今後、こうした現状を改め、大学人全体が障害学生の存在に関心と理解を深めて、全学的にその支援に取り組んでいくことが、何より求められている。

 これでおわかりのように、日本の大学の現状はあまりにもお粗末です。これでは障害を持っていても優秀な学生が後に大学や社会に貢献しようと云う気持ちを持つより、自分を疎外し続けた社会に対するマイナスの感情を持つのではないかと懸念します。やる気も能力も高い優秀な人材を社会の役に立たせるのに必要な援助や社会投資をけちっているのは先進国を自負する国として誠に恥じ入るべきだと思います。

 ちょっとしつこいのですが、実際の学生から寄せられたアンケートの回答を読んでみたいと思います。彼らの本音と実情が如実に語られており、そうした体験を強いられた人々の心の痛みを思わずにはいられません。

 ○山形大学の車いすの学生
  一番大きい教室がある校舎にエレベーターがなく、車いすを自力で運ばなくてはならない。私はなかなか人に頼めない。「運ぼうか。」と言ってくれる人にお願いすることにしている。ただ、言ってくれる人があんまり障害者と接したことがないのか、私に対してお客様のように接してなかなか普通の友人のようには扱わない人もいる。それがいやで深くつっこんで話ができない。相手が話す気がないのに一人で話すのはつらい。
 
 こうしたことは、社会でノーマライゼーション教育が施されていないことが一因です。弱者と関わることは弱者が抱えている不利益も一緒にかぶる事になるので、できるだけ関わりたくないが、無慈悲な人と取られたくない思いから最低限のサポートをしてそれ以上の関わりを持たないようにする心理が見えます。障害者に関わることが損にならない社会を作る必要があります。

○筑波大学大学院の全盲学生
1.教材の点訳
  本大学には、教材や試験問題を点訳したり、学生の点字による回答を活字に直したりするシステムが確立していません。授業の教科書など、多くの点訳は、学生自身が重要度の高いものから順に学外の点訳ボランティア団体などに依頼しています。点訳には、時間的・金銭的コストがかかるため、全てのテキストや資料を点訳できず、大学内図書館における対面朗読サーヒスに頼っています。

2.学習補助制度
  本学に在籍する障害学生は、障害の種類や程度、学年などに応じて定められた時間数の範囲内で、学習補助者の援助を受けることができます。私は、朗読や書籍の検索・収集、文書校正、事務書類の記入など、様々な業務を補助者に依頼していますが、このシステムは、授業時間のみに適用されることになっており、授業終了後の補助は認められていません。学生が自主学習を行う全ての時間帯に、このサービスが延長されることを希望しています。

○筑波大学 大学院聾学生 
 筑波大学は障害学生に開かれた大学と聞き、ここなら十分に勉強できると期待して入ったのですが、大学4年間では、週2〜3コマしか手話通訳や筆記通訳の派遣をうけることがでず、週20コマある授業に全く足りずほとんど独学で勉強してきたも同然です。ディスカッション形式の授業には入れず1日中暇をもてあまし、寂しい思いをしてきました。

 また、休講やテストの連絡がわからず、不安な思いをしたこともありました。いわば、授業に「出席」していても、まったく「参加」できない状況なのです。決して安いとはいえない授業料を払って、出席する意味があるのか疑問に思う毎日です。

 自分の興味のある講義に参加したいと思っても、通訳が派遣されないため、その講義履修を放棄せざるを得ない状況もしばしば起こっております。このように、大学4年間は、自分の興味のある講義を履修できないことだらけでした。

 
 さらに、この通訳派遣はすべて学生ボランティアによるもので、大学側がそれに対して謝礼を支給するだけです。その業務には膨大な時間、専門的な知識、肉体労働、精神の疲労などの大きな負担を強いられます。通訳という仕事の性格を考慮に入れると、大学から支給される謝礼も不当に安いものと言わざるを得ません。 この大学に入学できた人がきちんとした学習環境を保証されるのは当然のことです。
 
 上述のように、一般の学生と同様に授業に参加する権利、選択する権利、学ぶ権利が保障されていません。また、こうした状況についての相談窓口がありません。特に入学時の聴覚障害学生は非常に不安な思いをしています。入学時から何らかの形で学業体制に関する相談や支援が受けられる体制があればいいのではないかと思います。

 障害者センターを設けていないこと自体聞く耳を持たぬ姿勢の現れです。こうした権利を保障する法整備も急がねばなりません。


 生活面においては、図書館を出る際に、出口の持ち出し禁止のアラーム音が聞こえなかったために、犯人扱いを受けたことがあります。また、緊急の際に情報が入らずに、困った経験があります。そこで、電光掲示板の設置、FAXの設置、パトライトの設置(宿舎を含めて)など、情報を視覚的に伝達できる機器設備の充実を望みます。
 
 こうしたトラブルが起きた時点ですぐに解決策を検討しシステムが改善されなければなりません。それをいつまでも放置しているのは人権侵害です。残念ながら私たちの社会はこういう形で少数派を排斥しているのです。                              

自殺の増加
 暗い話になって申し訳ないのですが、視覚障害者(盲人)の自殺について考える〜現状と課題〜という報告があります。筑波大学附属視覚特別支援学校の間々田和彦氏らのレポートです。この学校は盲学校の頂点に位置する学校で、優秀な生徒が集まっています。

 なので、盲学校卒業後に筑波技術大学ではなく一般大学へ進学する割合が高いのですが、19年間の卒業生約500人のなかで自殺が分かっている学生の数は8名だそうです。これは日本人の自殺率(人口10万人あたり25.5人)と比較して50倍となるそうです。単純比較する訳にはいきませんが誠に悲しい数字で、これを無視してはいけないと思います。

 彼らが自由に学び働く環境を整備するには多くの手間とお金がかかります。それを抑えるために、意図的に視覚障害者を三療の世界に誘導し、そこから出さないようにしてきたのが実情です。盲人に教育就業の自由が与えられていない実態がここにあります。聾や他の障害者も同様です。

 施す福祉は施す側の都合でその質と量が左右されます。施される側の幸福感を考えているわけではありません。施しになれてしまうと人はやる気を無くし、社会にぶら下がってしまいます。

 人の幸福感は社会の一因として認められて自分の役割を果たし、自分の尊厳を保つことで生まれてきます。「お前が動くと余計な金と手間暇がかかるから、これで我慢してあとはおとなしくしてろ」もしくは「勉強したいのならどうぞ。その代わり自助努力でやってね」的なメッセージが聞こえてくるような政策では意図的に障害者を社会から隔離しているようなものです。

私が見聞きしてきた障害者の実態も紹介しましょう。
 私が帰郷して地元の鍼灸マッサージ師会に入ってみると、治療者としての能力で晴盲の差は無い事を知りました。また、全盲で開業して食べてきた人たちは、すこぶる優秀な頭脳の持ち主だと云うことも知りました。考えて見れば当たり前です。目が見えないのに晴眼者と同じ条件で開業出来ているのですから。

 しかし、内に来る患者さんの口から聞かされるのは、「目の見えない人に鍼を刺されるのは怖いから見える先生の方が良い」と言う言葉です。このように盲人の鍼灸師は実力を発揮する機会を事前に奪われているのです。彼らの優秀さを知っているだけに、見える見えないで選別されてしまう現実と、結果として私の存在が彼らのチャンスを奪っている事にやりきれない思いを抱いてきました。

 私は障害の有無ではなく、実力で評価される社会であって欲しいと願っています。同じ免許なのだから同じに見て欲しいのです。何とかしてそうした誤解を解消できないものかと考えてきました。

 また、会に入った時盲人の先輩から言われたのは、「目が見えるのによくこんな世界に入ってきたもんだなー。俺の目が見えてたらこんな仕事はしないなー」という言葉でした。その人は息子さんを新潟大に入れてました。また東北大出のお子さんをお持ちの先輩もいました。

 病院研修時代の後輩に東北大学法学部を出て司法試験に挑戦していた経歴を持つ人がいました。彼は視野狭窄が強く、鍵穴から外を見ているような視覚障害を持っていました。司法試験を断念した後は鍼灸師になる以外に道は無かったので仕方なく塩原視力障害センターに入って免許を取ったと言っていました。能力の低い教官が視覚障害者を馬鹿扱いして威張っていたと話してくれました。普通高校に通っていたときは、野球をやらされてもボールがどこに行ったのか分からず困っているのを同級生がせせら笑っていたと悲しそうに話してくれました。

 私の家内はIQがすこぶる高いのに目が悪かったため、動きがとろく愚鈍な子供だと周囲に勘違いされていたそうで、山口県ではトップクラスの進学校に入ったら驚かれたそうです。高校では一番前の席に座っても板書が見えず、配られたテスト用紙の文字が見えない事もあって苦労したそうです。

 彼らは鍼灸師に「なりたくて成ったわけではない。」と言う本音を持っていました。彼らの適正に合わせた職業選択の自由が保障されている社会なら良かっただろうにと思う一方で、鍼灸師の教育水準と社会的地位がもっと高かったら、彼らは鍼灸師の仕事に誇りを持っていただろうにと残念に思います。

  日本の鍼灸における盲人の存在は世界的には優れた制度でした。盲人が医療分野で自主開業権をもって開業し、社会的に自立していけるのは世界を見渡しても日本だけです。

 しかし一方では西洋医学の進歩と医療体制の整備に伴って鍼灸師に求められる能力が飛躍的に高まりました。そのためまさに医学部並の教育と訓練を施さないと社会の期待に応えられる鍼灸師は養成出来ない時代になりました。それを受けて鍼灸界でも鍼灸大学を作り、教育水準の引き上げを図る努力を続けていますが、それについて行けないもしくはそれに適正がない人達の雇用先を開拓する努力を国が怠ってきたために鍼灸界は社会の期待に答えられない状況が続いています。

 長々と暗い話ばかりしてきましたが、ではどうすればこうした問題が解決されるのでしょうか?また、私たちのレベルで出来る事は何なのでしょうか?考えて見ましょう。

 まずは私が33年前に見てきたアメリカの大学での光景を帰国間もない頃に書いた文章から紹介します。

カリフォルニア州立大学留学記 (ノーマライゼーションと障害者教育の理想)

違和感のない学園生活
 私の通った大学は全米でも1,2の福祉施設の完備された学校で、身障者のための行き届いた設備はもとより、もっとも感激させられたのは、一般の学生達と身体の不自由な学生達が何の違和感もなく混じり合って学園生活を送っている姿だった。

 アメリカ人は身障者に対して特別な感情を抱かないようだ。また、身体の不自由な学生もこれと言って気後れする事もなく、ごく普通の学生として振る舞っている。まあ、そう言って両者を分けて考えている私の方がおかしいのかもしれない。

   休み時間の間学生でごった返す廊下を車いすが人をかき分けながら進んでいき、盲導犬を連れた学生が教室に急ぐ姿が見られる。教室を覗けば、たった一人の耳の不自由な学生のためにも手話通訳が2人交代で教授の言葉を伝えている。学生同士和気藹々と冗談を言い合いながら勉強している。そんな自然な雰囲気と、誰にでも学ぶチャンスを与えようとする大学の姿勢がすばらしかった。大学には障害者センターがあり、障害のある学生の要望に応えて様々なサービスと支援をコーディネートしていた。

小さいサポートの連携
 私が入っていた寮には耳の不自由な学生が多かった。中には耳も目も不自由な学生もいた。そんな人たちと一般の学生は実に上手く生活していた。それを象徴する出来事は、よく寮の食堂で見られた。

 耳も目も不自由なキャサリンと言う学生が盲導犬と一緒に食堂に入って来た。どうやって手を貸そうか迷っている私を尻目に、当番の学生がさっとキャサリンの手を取って手話でメニューを伝え始める。キャサリンの手のひらに指でアルファベットを綴ってゆくのだ。キャサリンは声を出してそれに応える。

 その間彼女を追い越していく学生が、トレイをカウンターの上に置いて行く。彼女がその前に立つと、今度はカウンターの奥から盛りつけ係りの学生が手を伸ばしてキャサリンの手に注文伺いの手話を打ち込んであげる。キャサリンは声で答えて食べたいものを盛りつけてもらう。

 するとまた彼女を追い越していく学生がそのトレイを隣のカウンターに移動させていく。 この繰り返しで、次々と一般の通りかかった学生が、一つだけ手伝っては追い越してゆきながら、飲み物も、デザートも、スプーンやフォークもセットされて、最後に通りかかった学生がキャサリンの指定席にトレイを運んでおく。 実にスマートな連係プレイが繰り広げられるのだ。

 彼女が食べ終わったと見ると、一人また一人彼女の肩を叩いてそばに座り、手の中に手話を打ち込んでは楽しそうに会話をしたり、盲導犬をあやしたりして行く。実にさらりと彼女とのコミュニケーションをやってのける学生達を見て私は強く心を動かされ、手話を覚えることにした。

手話は常識
 手話の本を買い、友達とあれやこれやと練習していたある日、寮の中のアメリカ人の学生の部屋に遊びに行ってそこでも手話の練習をしていると、その学生が手話で私に話しかけてきた。「えっ。君も手話が出来るの?」  驚いてそう言った私に彼女は笑いながら寮にいる学生の基礎教養だと話してくれた。それを裏付けるかのように、部屋の前を通り過ぎてゆく学生に、手話で挨拶をすると、すかさず手話で冗談を返して行ってしまった。

ノーマライゼーションの極致と決意
  目や耳、足が不自由な学生ばかりではなく、アテトーゼと呼ばれる不随意運動のある身体を電動車いすに縛り付けて教室を移動している学生もいた。一般の学生と電動車いすに身体を縛り付けた学生同士がキャンパスの中を冗談を言いながら並んで歩いている姿はくっきりと私の心に焼き付けられた。

 いったい何十年したら同じような光景が日本で見られるのだろうか?絶望的な気分になりながらも、自分はこの留学で非常に重要な課題を背負ったのだと思った。いつか本当のノーマライゼーションが実現するように自分が見たことを日本の人にも伝えようと心に誓った。

健常者と障害者の垣根の消失
 アメリカに行くまでは障害者と自分の関係を考える事はあまりありませんでした。障害者と関わることは厄介なことだ。縁があればほどほどにお手伝いをして冷たい人だと思われないようにだけしておこう。ぐらいにしか思っていませんでした。恐らくそうした考えは日本人の健常者の一般的な考え方ではないでしょうか?だから、キャサリンを目の前にしたときに、私は固まってしまったわけです。どこまで手伝えば良いのだろうと途方に暮れたのでした。

 ところがノースリッジの学生達は出来る事だけちょっとずつ。の連携でその難問をあっさり解いてくれました。また、聾唖の学生が沢山いる環境ではどうしても彼らとの意思疎通を図る必要があり、結果として手話は基礎教養として誰もが身につけるものになっていました。私の中にあった健常者と障害者の垣根はアメリカの学生達があっさりと取り払ってくれました。

 害の有無で線引きをすると言う考え方を無くしてみると、もっと純粋にその人個人の魅力と素直に向き合うことが出来ていいもんです。心の中に垣根があると、困っている人を助けきれない後ろめたさに苛まれるものです。

 しかし、垣根が無くなると、とても心が軽くなります。アメリカの先駆的な大学は日本の国立大学の実態報告で指摘された改善点を全てクリアしていることがおわかりでしょう。それが実現すると今紹介したような光景が日本でも実現するのです。

ノーマライゼーションを支える法律
 ところで、こうしたアメリカのノーマライゼーションを支えていたのは法律でした。アメリカでは1973年には各州で差別禁止に関する法律が出来ました。さらに1977年にはリハビリテーション法が実施され、1990年には障害を持つアメリカ人法が出来てより強力な影響力を発揮するようになりました。その骨子は「多様な人々に配慮するよう環境を変えることによって、障害者を支援すると」言う考え方です。「困っている人に施す」と言う考え方ではないところが味噌です。私がアメリカに行ったのが1981年ですから、ノースリッジの大学で見たことは先駆的な試みだったようです。

アメリカ手話留学記紹介
 ここに「アメリカ手話留学記」という本があります。聴覚障害をもった高村真理子という方が書かれたものです。私の2年後に同じ大学の大学院に留学し、同じ経験をして帰国したようです。その時の事を一冊の本にまとめてくれていました。「あーやっぱりあの感動を誰かに伝えなきゃと強く思った人が他にもいたんだな」とこの本を見つけたときに意を強くしました。

 私はこの留学で、様々な人が普通に暮らすと云うことを実体験しました。大学では身体障害のある学生だけでなく私のように外国人の学生も普通に学べる環境が保証されていました。ですから差別や疎外感を感じることはほとんど無く、非常に快適な学生生活を満喫できました。
 
 誰でも普通にしていられると言う事は凄いことです。また、アメリカ社会の懐の深さに感服したものでした。優秀な人間が自分の正当な評価を求めてアメリカに集まってくるのが分かりました。

 アメリカ社会の良さはフェアな競争環境を守る点だと思います。様々なハンデは社会が埋めてやるからやる気と能力のあるやつはどんどんその力を発揮してみろ!といった社会的メッセージが至る所に感じられました。そうして優秀な人材を世界中から集めては国力を強くしているんだなーと感心しました。

 自国で芽が出なかった人がアメリカで成功すれば、自分にチャンスをくれた国に強い恩義を感じ、その社会のために力を尽くそうとするのは当然です。日本社会もそうした価値観をもっと積極的に取り入れるべきだと思います。

 唯一日本国内でワールドワイドなノーマライゼーション化が進んでいる社会があります。それは相撲界です。日本人の横綱がいない時代が訪れても相撲人気は衰えません。世界中の若者に門戸を開いているし、競争環境は平等です。外国人横綱の多くが日本に帰化して角界の発展に寄与しています。国技の相撲でそれが出来ているのですから他の分野でも出来ないはずはありません。

私のノーマライゼーションの取り組み 盲人の実情 情報不足
  さて、私のノーマライゼーションの取り組みはアメリカ留学から10年後でした。平成元年に再開業すると同時に地元の鍼灸マッサージ師会に入りました。晴盲半々で50人ぐらいの会員がいた時代でした。私が一番先に気がついた問題は会議で盲人の発言のピントがずれていると言うことでした。話の流れを全く理解しないような発言が相次ぎ、その都度嘲笑されて発言は無視されていました。

 なぜそんなことが起こるのかはしばらくして分かりました。総会資料を墨字でしかつくっておらず、しかも総会当日にそれを配り、いきなり会議を始めるので、盲人の会員にとって議論の前提が分からないのです。

 そこで私は役員会の議事録を会報にして会員に配りましたが、盲人の会員から読み上げてくれる家族がいないから分からないとクレームがつきました。一人で生活している全盲の会員も複数いましたし、家族に遠慮して何も頼めない人もいましたので、会報を私が読み上げテープに録音して盲人会員に配ることにしました。そしたら、市役所でテープのダビングと配付を引き受けてくれることになり大変助かりました。お陰で、会の中は情報の共有が出来るようになり、総会でのとんちんかんなやりとりも減り、会の結束が高まりました。

身近な理想郷
 米沢の鍼灸マッサージ師会は晴盲の仲がよい会でした。盲人の親を持つ人やご自身が弱視の人が会長職につくことが多かったからだと思います。晴眼者の会員は盲人に対する接遇に慣れており、誰もが盲人の移動、食事、空間認識などのサポートをさりげなくこなしていました。
 
 特に会食では、誰が指示するでもなく、自然に晴眼者は盲人の間か前に座り、食事のサポートをしていました。このさりげなさはまさに私がカリフォルニアの大学で、見たものと一緒でした。「なーんだ、ここに理想像がちゃんとあるじゃないか」そう思い私は10年間会の運営に夢中になりました。

業界内部の晴盲問題
  米沢の会の中では晴盲間の問題は無くなっていったものの、鍼灸マッサージの世界では晴盲の仲はけしてよくありませんでした。業界は、盲人だけの会と晴眼者だけの会と混合の会に分かれ、お互いに反目し合う状態でした。晴眼者は盲人を切り捨てて、鍼灸を医療に昇格させたいと考えており、盲人は置いてきぼりにならないように晴眼者のスタンドプレーに目を光らせていました。お陰で、業界が2分3分しているために保険や社会活動の交渉窓口が一本化できずに、何の社会貢献も業のアピールも出来ない状態が続いていました。そんな中平成4年にべにばな国体が山形県で開かれました。

晴盲協力のモデルケース
 身体障害者の大会、「輝きの国体」では、地元マッサージ師会に選手への治療ボランティアの要請が来ていました。しかし、その内容は「あんたらのお仲間がやってくるから揉んでやってね」と言わんばかりのもので、計画も粗雑で待遇も悪い内容でした。こんな事ならいっそのこと鍼灸も加えて、健常者の国体で堂々と自分たちの腕をふるって我々に対する社会の見方をひっくり返してやろうじゃないかと発憤し、会合の帰り道役員で相談して国体での治療ボランティアの申し入れを高橋市長にすることにしました。

 市長は突然の申し入れに驚きながらもOKを出してくれたので、これ幸いとそのまま国体準備室に乗り込んで、正式にボランティア登録を済ませることが出来ました。勢いでねじ込んだものの、全国規模の競技会で晴眼者と盲人の治療者揃っての鍼灸マッサージボランティアは全国初の試みでした。

 なぜ、輝きの国体でやってきたことが、一般の国体ではやれなかったのでしょうか?まず誰もが思ったのは、マッサージは良いけれど、鍼となると選手が盲人の治療者を拒否しないだろうか?と言う不安。さらに誰がどれだけの臨床能力を持ってどんな治療をするのか分からなかったので、十人十色の治療方法を統一できるのか?といった技術的な問題が大きな障害でした。

 幸いにも私たちの試みを全面的にバックアップしてくれる企業が見つかり、スポーツ鍼灸に造詣の深い先生達を米沢に招聘して研修会を重ねて治療法の統一を図りました。さらに晴盲で一組のチームを作って臨床に当たる事にし、治療の練習会を重ねて自信を付け本番に臨みました。ボランティアは大成功で、連日沢山の選手が治療に訪れ、盲人の治療者もフル稼働で治療に当たり、一度も盲人の治療者が選手から拒否されることはなく、晴盲全く同じ土俵でそれぞれの力を発揮して大絶賛を浴びました。

 アンケートと競技記録の突き合わせから分かったことは、治療者間での効果や選手満足度に差がなかったこと。何レースもこなす選手の競技タイムが鍼をした後のほうがよくなっているという驚きの事実でした。さすがに腕一つで食べてきた人たちは凄いなーと感心したものです。この成果を詳しくまとめ業界紙に投稿しました。

 また、このレポートを持って私は国体開催後続県の鍼灸団体を回り、そのノウハウを普及して回ったことで、その後の国体開催県では盲学校と鍼灸団体が協力して国体の治療ボランティアを成功させた地域も出てきました。

 国体後の打ち上げでは、利用者から寄せられた感謝の言葉を耳にした会員達は一様に誇らしさで興奮していました。その後ねんりんピックでも治療ボランティアを成功させ、市主催の健康福祉祭りにもボランティア協力をするなどして米沢の鍼灸マッサージ師会会員のレベルアップと意識の向上はそれなりに図れたのではないかと思っています。

 なによりも、晴盲分け隔て無く同じ目標に向かって頑張れたことと、共にその成果を享受出来たことは大きな喜びでした。障害の理解と適切なサポート体制の整備が出来れば、障害の有る無しのギャップを埋めて共に誇り高くやっていける環境が作れる事を確認できました。

おわりに
 施す福祉には社会の弱者と強者を固定する危険があります。固定してしまうと弱者はぶら下がり、強者は出し惜しみを始めるものです。結果として差別のある社会になります。だから施す福祉は使い方が難しいのです。

 人はいびつな存在で、その能力に優劣があります。劣を補い優を引き出すと誰もが宝に変わります。だから人それぞれの劣を補うのが優れた福祉です。みんな宝になれば差別は無くなります。

 人のやる気は欲によって引き出されます。欲の向かう先は、財であり、名誉であり、自己実現と様々です。欲はそれが手に入る可能性が見えたときに起こります。だから人にチャンスを与えることがやる気を引き出します。社会にとって役立つ良質な欲を引き出すには良質なチャンスを与えることです。

 人は自分の可能性を引き出してくれた人に強い恩義を感じ、その恩を返そうとします。社会が個人の可能性を引き出せば、その社会に恩を返そうとします。恩返しは良質で強い行動を引き起こします。これは社会の宝になります。

 だから、自分の可能性に挑もうとする人にチャンスを与えることは社会にとって大事です。
自分の力では変えようのないハンデを負った人のハンデを理由にチャンスを与えない事ほど残酷なことはありません。やる気があればハンデを補ってチャンスを与えるべきです。

 障害者の教育や就業には手間とお金がかかります。それを充実させておくことは健常者の安心につながります。もし自分や家族が障害を負っても夢をつなげる社会であるなら障害が絶望にはなりません。 少数派に配慮できる社会は良い社会です。

個人レベルで出来る事
 では最後に私たちが個人レベルで出来る事は何でしょうか? まずは関心を持ってこうした勉強会を多く開いて行くことでしょう。直接障害のある人の話を聞いたり、彼らを支えている人の話を聞くことが理解を深める近道です。
 
 身近に接する機会がある場合は、彼らに情報を与えることに気を配ってください。盲人には墨字の資料を読み上げたり、聾唖者には筆談で話の流れを説明する気配りをしてもらえるだけで、ぐっと安心感が増します。

 様々な催し物に招待するのも大事なチャレンジです。最初はいろいろとうまく行かないかもしれませんが、いずれきっとすばらしい結果が生まれるでしょう。

ご静聴ありがとうございました。
                                                                             平成26年9月27日
                                                                             東部コミセンにて


後日談↓

これは平成26年9月27日に米沢社会福祉協議会役員研修会で行った講演の内容です。
ちょうどこの日は「なせばなる秋祭り」が上杉城趾園で行われており、しかも私の講演と
ケネディー駐日大使のスピーチの時刻が丸かぶりしてしまい、多くの聴衆がそちらに行ってしまいました。

時間さえずれていたら私も行きたかったのに、、、

家に帰って家内にその話をしたら、「大したもんだね、ケネディーの裏を張ったなんて生涯の語りぐさだね」と慰められました。

チャンチャン。