医道の日本誌投稿原稿 2007年9月号

  • 2011.08.11 Thursday
  • 23:35
伝えたい心に残るこの症例 と題したテーマで業界紙に投稿した記事を一部手直しして掲載します。鍼灸界にたいして私が日頃思っていることを述べた内容です。


患者さんの役に立つ家庭医の能力とは何か        かとう鍼灸院 院長 加藤雅和  


 今回このコラムに執筆のチャンスを頂いて、鍼灸臨床に携わって25年の間に出会った沢山の患者さんや医療関係者との忘れえぬエピソードのなかから、何を選び何を伝えようか迷った。貴重な失敗談や教訓話はこれからも多くの方が書いてくださると思うので、私は少し視点を変えて、家庭医として鍼灸師に出来る事のひとつ、「何げない愁訴の原因を見つける事」が、患者さんにとってどれ程大きな助けになるかを症例を紹介しながら述べたいと思う。  

<専門医が重篤な疾患の除外ばかりに気を向けて、患者の観察を怠ったために8年もの間無駄な検査と治療を繰り返していた舌痛症の例>
 今から8年前、当時62歳の調理師をしている小太りの女性が、左の顔が痛いと訴えて治療に見えた。詳しく聞くと、左目の奥が痛く目が渋い。鼻筋の左側も痛い。口唇の内側と舌の先がピリピリすると言う。痛みには波があり、強い時は吐気もする。  
 

 そもそも初診時から8年前に左鼻と口の中が痛くなり出したのが始まりで、歯から苦味を感じたので歯科を受診して、歯の治療をしてもらっても痛みは変わらず、次に皮膚科で診てもらったら金属アレルギーだと診断され、歯に被せてある全ての金属を取り去ってもらったが症状は変わらず、以後、耳鼻科、内科、眼科を受診し原因が分からず、ペインクリニックでは三叉神経痛としてブロック注射を受けるも効果なく、山形、福島、宮城の名立たる大学病院の脳外科を回るも異常無しと診断されるだけでどんな治療も効果がなかった。ただ、何かに気をとられると紛れるのと、寝るとましになると言う。  

 目から鼻、口の中、舌先と痛い部位が広がっているので、どうしても三叉神経痛か何らかの脳内疾患を想定したくなるのだが、すでにそれは否定されているので、まずは凝っている左肩から解して様子を見ることにして治療を開始した。  

 最初は頸肩部の緊張したところと左合谷、崑崙に切皮置針をし、軽いマッサージを行ったら、少し痛みが少なかったと言うので、2診目は両肩の切皮置針に加えて左孔最、合谷のパルス1Hz10分を行ったところ、翌日にこれまでになく痛みが強くなって不安だと電話があった。  

 その後痛み止めを飲んで少し楽になったが、3診目は、2診と同じ治療に顔の赤外線照射を加えたら翌日は良かったものの、3日後には痛みが強まり、4診目はいつもの治療の後に残った凝りに置針を追加してみたものの効果は数日しか持たず、治療に行き詰ってしまった。  

 5診目に患者さんの顔をまじまじと観察すると、口の中で舌を動かして唇の裏をなめている様子が見て取れた。「もしかして鼻の痛みと口の痛みは別ではないか?」と思い立ち、鼻の痛みと口の痛みは同時に起こったのか改めて聞き直したら、何と発症日が違っていることが分かった。そうなると三叉神経痛や脳内疾患を疑うより、口の痛みは精神緊張から舌先で唇の内側をなめ続けているための舌痛症ではないかとようやく思いついた。  

 そこで時々口を開けて力を抜くように心がけ、頬をマッサージするように指示した所、6診目には「自分がいかに身を硬くしていたか分かった。症状がグッと楽になった。」と喜ばれた。8診目は「治ったみたいだ」と言い出し、9診で症状が消失したので治療を終了した。「私の8年間は何だったんでしょうね」という言葉を残していった。  

 今になって振り返れば、鍼治療の方向性は逆だったようだし、もっと早く舌痛症を疑ってもいいほどサインは沢山現れていたのだが、目や鼻の痛みと口の痛みをひとつのものと捉えた先入感が病気の本態を見つけ出すのを遅らせた。それでも、8年もの時間と治療費の浪費を私で止めた点は実質的に役に立つ仕事をしたと自負している。  

 検査を駆使して悪性疾患や希な病気を見つけ出すのは現代医学の得意な分野であるが、逆に、生命を脅かさず、手術を必要としない愁訴に対しては、それこそ我々鍼灸師がその受け皿となれると思っている。その理由を知ってもらうためにもう少し私の忘れられない症例を紹介する。  

<患者の性格から日常生活動作の癖を言い当てて治した例>
 当時56歳の測量事務所に勤める女性で、いつもは肩こりや手の痺れで来院する人が、ある日右足親指の痛みを訴えた。朝足をつくときが痛い。原因となるようなことは思い当たらないと言う。診ると母趾の中足指節関節に圧痛がある。ここに負担をかけるような動作をやったに違いない。  

 以前私自身が同じ症状で数ヶ月苦しんだ事があった。結局原因はお風呂で片膝立てになって子供の頭を洗ってやる時に足の親指に負担がかかって傷めたのを思い出した。お風呂場で身体を洗う時、風呂用椅子に腰掛ける人と、バスマットの上に片膝立てになる人がいる。女性の湯浴みの仕草としては後者は上品な形である。  

 この方も、とても上品な女性なので、もしかしてそのような姿勢で身体を洗う癖が無いかどうか訊ねてみたら、どうして分かるのかといぶかられた。しかし、私の指示どおり風呂用椅子を使うようにしたら親指の痛みは治ってしまった。  

 お風呂で身体を洗ったり、頭を洗っている時はそちらに気持ちが集中しているので、足の指に負担がかかっていることに気付かないことが多い。しかしこうした癖に気付けないままだと関節炎は慢性化し、ひいてはかつての私のように、それをかばって次々といろんなところを傷めてしまう。そうした一連の障害を未然に防ぐには患者さんも意識していない癖を見抜いてあげることが重要になる。しかし、患者さんの仕草や性格から身体を洗う格好を推量して原因を指摘するといったような事に真面目に取り組む医師がいるのだろうか?  

<あり得ない寝相が原因で痛みの引かなかった股関節痛>
 症例をもうひとつ、50代の歯科医師で右の腰下肢痛を訴えてきた。所見から腰よりも股関節に負担がかかってるように見えるのだが、思い当たる事は以前ターザンのまねをして蔓にぶら下がって遊んだ時に腰から落ちて尻餅をついたことぐらいしかないと言う。重篤な疾患が隠れているとは思えないので愁訴の出ている周囲の緊張を解しながら経過を見たが、決まって朝起きる時が一番痛みが強いと言う。  

 本人は尻餅の後遺症だと思い込んでおり、再三それが原因だと主張するために、どうしても私の目は腰に引かれがちになったのだが、いつも朝起きがけが悪いとなると、寝てる間に何か負担をかけていることになると思い、「どんな格好で寝ていますか?」と訪ねたら、「私は寝相が悪いんですよ。うつ伏せで、右足を腹の下に畳んで寝る癖があるんですよ」と言う答えが返ってきた。  

 何でそんな格好で寝るの?と言いたくなるのだが、それが癖なのだからしょうがない。右の股関節を屈曲したまま体重をかけて寝ているのだから朝股関節周りが痛くなるのは当然である。少し寝づらくても寝相を治すように指示したら治療の効果が上がって愁訴は無くなってしまった。 それまで何年も同じ姿勢で寝てきて何の問題も起こさなかったのに、何故?と患者さんは思いがちだが、身体の老化に伴い、それまでなんでもなかった寝相が大きな負担になってしまっていたと言うケースは少なくない。  

<夜間痛で目が覚めたり、朝起きがけに症状が強い場合必ずどうやって寝てるのかを問いただす必要がある>
  

 寝相だけに限らず、無意識で行う動作が痛みの原因になっている事は多い。それを見つけて指摘する。ただそれだけの事である。なにも鍼灸特有の効果で治すわけではない。しかし、これが患者さんの利益を守ることにつながる。  

<医療の無駄を省き日常臨床の質を高めるには鍼灸師こそが家庭医として活躍すべき>
 スポーツドクターやスポーツ鍼灸師にとって、選手の起こした障害から問題行動を類推する能力は非常に重要になるのは誰もが認めるところであろう。それは家庭医にとっても同じ事で、患者さんが起こした障害の原因を類推するにはスポーツとは比べ物にならないほど多岐に渡る人間の動作や習慣を熟知している必要が出てくる。症状から患者さんが気がつかない問題行動を言い当てるのはある種名人芸と言える。しかし、こうした名人芸をもった家庭医に誰もなろうとはしていない。医学の専門分化が進んだ今だからこそ、そうした家庭医が必要なのである。  

 ならばこそ我々鍼灸師が意図してそうした存在になるべきであると私は考えている。そんなに難しいことではない。人間に対する興味を持って色々と観察していけばおのずと身につくはずである。また、同業者間でまめな情報交換を行っていけば、そうした知識は飛躍的に向上するし、鍼灸師全体の能力を上げる事はたやすくなる。  

 私は日本の鍼灸界において行われている勉強会や学会、業界誌への投稿といった情報交換の場に、愁訴の原因となった問題行動を教えあうジャンルを創設する必要があると感じている。ヒヤリハット情報の交換と同じように、既にみんなが持っている情報を出し合うだけで、鍼灸師はとても役に立つ存在になれるのだとここに紹介した症例を通して私は伝えたい。
JUGEMテーマ:学問・学校
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