玉川病院研修生時代の思い出 1

  • 2006.04.02 Sunday
  • 23:16
やり直しの決意
昭和五十五年鍼灸学校を卒業後、カイロプラクティックの勉強とアメリカ留学を経て約2年して帰郷し開業した私を驚くような事の連続が待っていました。 

「じいちゃんが転んだがら来てけろ」と朝の4時に電話があり行ってみると、耳が半分ちぎれていたり、「おらいぇのばばなんだが変だがら来て見でけろ」と言われて行ってみると、脳腫瘍で5分おきに癲癇発作を起こしていたり、「ばっちゃが腰痛いがら出張してけろ」と言われて行くと、背骨がつぶれて激痛で苦しんでいたりと、鍼灸治療で対処できないような依頼が次々と舞い込みました。

当時の私には十分な現代医学の知識が無く、この患者さん達に何が起こっているのかさえよく分かりませんでした。開業するには鍼灸の知識だけでなく、かなり高度な現代医学の知識が必要だと痛感させられ、開業2年を待たずして、東京の玉川病院で現代医学と鍼灸治療を勉強し直す決心をしました。
 

玉川病院研修生時代の思い出 2

  • 2006.04.01 Saturday
  • 23:16
内科医の下で実地研修
私が研修生として所属していた玉川病院の東洋医学内科は、代田文彦、本田徹両医師の他、鍼灸師が約十五名の大所帯でした。研修期間は二年間で、その後は後輩の指導をしながら鍼灸外来を担当して臨床経験を積み、東洋医学研究所所員としての研究も担わされていました。 

二年目は代田、本田両先生の担当する入院患者さんを研修生で手分けして受け持ち、経過を観察しながら臨床現場で病気の勉強をしていくもので、平たく言えば内科医のお手伝いをしながら現代医学の現場研修をさせてもらうインターンのようなものでした。内科全般が対象となるので範囲が広く、入院するだけあって重症なものが主でした。

担当の患者さんが決まるとすぐに病棟に駆けつけ病歴を聴取し、カルテを読んでその病気で分からないことを勉強し、その週の報告会ではドクターの前で経過を他の研修生に話し、退院すると入院中の全経過をまとめて発表することが義務づけられていました。代田、本田両先生は常に多くの患者さんを抱えていたので、さまざまな病気を学ばせてもらえました。

手術も解剖も検査も臨終も何でも見学
もちろんそれに加えて、患者さんに関係する病院の部署はすべて出入りして知識を身につけました。病院で立入らなかった部屋は、産婦人科の外来と分娩室ぐらいです。(ここは家内に頼んでしっかり勉強してもらいました)

この他に、持ちまわりで代田先生の内科外来の助手を務め、月一回の救急外来で当直も経験しました。本田先生には毎週内科疾患の基礎を講義していただき、内視鏡や腹部エコー、胃透視などの消化器検査も繰り返し見学しました。

米沢に帰れば外科手術を見学できるチャンスはないと思い、可能な限り手術の見学もこなしました。胆石、気胸、膝人工関節、白内障眼内レンズ、パイプカット、前立腺肥大、複雑骨折など、見せてもらえるものは何でも見ました。

また、私が病院でどうしても学びたかった事に「臨終」がありました。鍼灸師は、日常臨床では臨終に立ち会うことはありません。しかし、医療人として仕事をする上でもっとも基本になるのは「死」を知ることだと思い、努めて臨終に立ち会うようにしました。

幸い病院に居候をしていたので、二十四時間いつでも病棟に出入りでき、危篤になった患者さんのそばを離れずに、その一部始終を目に焼きけました。時には、肺水腫で呼吸困難になった患者さんの救命措置の手伝いで、ドクターや看護婦と一緒に人工呼吸をしたこともありました。

概して医師は人の命を守る医療を提供するのに対し、鍼灸師は心地よく暮らすための医療を提供していると言えます。しかし、鍼灸師が人の命を忘れたところで仕事をしたのでは、医療人ではなく慰安者にとどまってしまいます。こうした経験は、私の医療人としての覚悟を養ってくれました。また、現代医学を踏まえたうえで鍼灸でできることが何かも学ばせてもらいました。

玉川病院研修生時代の思い出 3

  • 2006.03.31 Friday
  • 23:19
鑑別診断の習得
嵐のような勉強の二年間が過ぎると、病院で何が行われているか、医者が何を考えているかが一通り分かるようになり、医学常識がわきまえられるようになりました。そこで三年目からは鍼灸では治せない疾患の鑑別が出来るように診断技術の習得に力を入れました。

まず、代田、本田両先生について内科の診察技術全般と、レントゲン写真をはじめとする様々な画像の見方や検査数値の読み方を実際の患者さんを通して教わりました。

代田先生は誤診を防ぐためには人の診断を鵜呑みにせず、自分で納得するまで原因を追求するように常々指導されました。また、検査数値を盲信せず、患者さんの訴えを良く聞き、身体を良く診ることを強調されていました。こうした勉強は鍼灸師だからといって妥協のない真剣なものでした。お陰で私たち鍼灸師が医師の診断に異を唱えて誤診が発見される事も少なくありませんでした。

処方を見れば医者の考えが分かる
薬の勉強も必然的にさせられました。もちろん漢方薬についても教わりました。絶対必要な薬と、飲んでも飲まなくても良い薬のあることも知りました。患者さんの思いこみで大事な薬を止めると、どんなことが起こるのかもこの目で見せてもらいました。

米沢では患者さんが検査の結果も薬の内容も、病名さえも理解せぬまま治療を受けているケースが多いのですが、どんな検査をしたか聞いて薬を見せてもらえば、主治医が何を考えているのか大体分かるようになったのも病院での勉強のお陰でした。

恩師の背中で仁術を学ぶ
代田先生は治療の効果を冷静に評価することも教えてくれました。よくカンファランス(症例検討会)で「この患者に何が効いたと思う」と先生から聞かれることがあり、そうしたときは大概私が考えてもいない答えが返ってきて、目からうろこが落ちる思いをしました。「医者は科学者である。手前味噌な評価を下してはならない」と言うのが先生の考えでした。 

代田先生も本田先生も、患者さんの話をよく聞かれるので、精神的な問題を抱える人も多く受診していました。私達研修生もそうした患者さんの治療を担当するために精神科疾患についても勉強させられました。実にさまざまな患者さんとのやり取りを見せてもらいながら、心のケアーのしかたについても多くのことを学びました。 

代田先生の診療姿勢は肩の力を抜いた自然体で、いつもいたずらっぽく笑いながら、冷静な頭と熱いハートを持って飄々と仕事をこなしておられました。患者さんにいらぬ気遣いをさせず、自分への悪態でもなんでもしゃべらせ、気持ちを軽くする診療でした。

一方本田先生は、病める人を救うため全身全霊で治療に当たり、清貧を旨とし、仁術としての医療を極めんとする求道者のような方でした。その真摯な診療によって起死回生の治療を施されることも多く、「本田先生に診て頂ければ死んでも本望だ」と患者さんに言われるくらいでした。

こうしたお二人の背中を見ながら医療者とは何かを学ばせてもらいました。
                            つづく

玉川病院研修生時代の思い出 最終回

  • 2006.03.30 Thursday
  • 23:19
東西両医学の融合
私が研修を受けた玉川病院では医師と協力して治療が出来る鍼灸師を養成し、東西両医学の融合を実践していましたので、両医学の良いとこ取りが出来て、患者さんにとっても治療者にとっても誠に理想的な医療環境でした。

鍼灸治療は様々な場面で西洋医学の不足を補えるばかりでなく、西洋医学で治療に行き詰まったときの解決策としても優れた力を発揮します。私が病院で行ってきた実例を紹介しましょう。   

鍼灸が役立つ場面
圧迫骨折で背骨が潰れると、かなり窮屈なコルセットをはめて一ヶ月ぐらいベッド上で安静を強いられます。じっと寝ていると腰や肩が痛くなり、ストレスも溜まり、しょっちゅう看護婦さんが呼ばれるのですが、せいぜいシップを貼るぐらいしか手立てはありません。しかし、ここで鍼灸治療を加えると、ほとんどの愁訴が改善され、しかも圧迫骨折による痛みも早く治まります。

また、足を骨折した人がひどい肩こりを訴えた事がありました。折れた側の足が冷えて、逆に肩や首がのぼせてしまったためで、足の血行を良くするように治療したらのぼせがとれて肩こりが楽になりました。

脳卒中の患者さんでも冷えのぼせの為にイライラが強く、周りに当たり散らして全くリハビリが出来なかった時も、鍼灸治療でのぼせとイライラを治めてあげると、人が変わったように素直になり、ぐんぐん」リハビリが進んで退院されたケースもありました。

痛み止めを切らすわけにはいかない人が胃を悪くして薬が飲めなくなった時は、鍼灸治療で胃の調子を良くして再び薬が飲めるようにします。体質的に痛み止めが使えないときや、妊産婦でむやみに薬が飲めないときも鍼灸治療は役に立ちます。特に、歯科治療後の痛みなどは鍼でぴたりと止められます。

それから、胆石をとっても背中の苦しさが残った時などは、西洋医学ではどうしようもないのですが、鍼灸で背中のコリをほぐせば楽になります。お灸で逆子を治すことで帝王切開を免れる事もあります。

このように東西両医学を合わせて行うと、安全で快適な医療が実現します。私達が米沢で実現しようとしているのも、東西両医学を上手に組み合せた治療です。帰郷して十八年。お医者さんも患者さんも私達のやり方を理解して下さる方が増え、随分仕事がやりやすくなりました。

研修の仕上げ
話しをもとに戻し、私の病院での研修も四年目に入ると対外的な活動としての学会発表や、研究活動も担わされ、後輩の教育にも力を注ぐようになりました。五年目は地域住民に対する東洋医学の啓蒙活動として講演会を企画し、代田先生と一緒に講師を務めました。        

この年の十月には二年下で研修を受けていた家内と結婚し、東京での生活にも区切りをつけることにしたので、残りの半年間は小児科、外科、整形外科、泌尿器科、皮膚科、眼科、耳鼻科の外来見学をさせてもらいました。このときは鍼灸師でもできる診察法の習得に力を入れました。

そのころ家内は、産婦人科疾患の勉強で遠藤美咲先生のもとで、生理痛や無痛分娩の研究をお手伝いしていました。さらに、産婦人科の見学もさせていただき、二人で病院内のすべての科を隈なく見せてもらいました。

こうして中身の濃い五年間を過ごし、良きパートナーも得て平成元年四月に帰郷し、再度鍼灸臨床に取り組むことになった訳です。     おしまい